2005年 |
今日、FUJIは、品質、パフォーマンスと価値が認められ、世界36ヶ国で販売されている。製品を通して、最高の自転車を作るという情熱を基にした数多の技術的革新を体感して頂けることだろう。 |
2004年 |
FUJI初のフルカーボンフレームを駆るJudith Arndt(ドイツ、女性)がイタリア、ヴェローナにてワールドチャンピオンを獲得する。 |
2003年 |
Diamondシリーズがフォーバーリンケージ・デュアルサスペンション(ドイツメディアが市場に存在するサスペンション形式で、世界最高と評価する方式)を採用する。
Fuji Roubaixの女性モデルがBicycling Magazine誌の編集者賞を受賞 |
2001年 |
FUJIは経営方針を変更し、量販店から自転車専門販売店へと販売チャンネルをシフト。ヨーロッパのマーケティング・販売会社と契約することにより、16カ国での取り扱いへ拡大する。 |
1999年 |
Fuji Team Issueを駆るThe Mercury Professional
Cycling Teamがレースにおいて70以上の勝利を獲得。アメリカで最速のチームとなり、四年連続でVeloNews誌の選ぶteam
of the year(今年度最高チーム)に選ばれる。 |
1987年 |
この年FUJIはオリンピックのゴールドメダリストであるマーク・ゴルスキーをFUJIのレーシングチームに迎え入れ、さまざまなレースで幾度と無く勝利を勝ち取る。
当時、宇宙工学の分野で新素材として注目されていたチタンで自転車のフレームを世に出した最初のメーカーの一つでもあり、同時にオーバーサイズタイヤ(29インチ)で、高性能シティーサイクルの開発にも早々と着手していた。 |
1980年
11月 |
米誌「コンシューマー・レポート」の自転車テストで当社のロードレーサー「S12S]が第1位となる |
1977年 5月 |
「第1回フジサイクル・グランプリ・ロードレース大会」を開催 |
1976年〜
1974年 1月 |
FUJIは、今や世界中から絶大なる支持を受けているShimano
Dura Aceを最初に装着したメーカーの一つであった。1974年、1976年そして1980年には富士は、全米コンシューマーレポートランキングで見事1位を獲得。 |
1973年 6月 |
「富士カルダン」発売 |
1972年 |
FUJI ブランド輸出開始 |
1971年 3月 |
ニューヨークで開催のインターナショナル・バイシクルショーにスポーツ車出品(フジ・ニューエスト・ファイネスト等) |
1968年 4月 |
「富士フラッシャーシリーズ」「富士ジョッキーシリーズ」発売 |
1961年 5月 |
「富士ダンディ」発売。 |
1952年 4月 |
岡崎勝男社長、外務大臣に就任 |
1951年 3月 |
第1回アジア競技大会(ニューデリー開催)に「冨士レーサー」を使用一千メートルタイムレースで杉原選手優勝。株式上場。店頭売買開始 |
1951年 8月 |
商号を日米富士自転車株式会社と改称
通販部を分離独立、旧称号「株式会社日米商店」を用いる
冨士フェザー号で富士登山に成功(福岡県飯塚市樽見岩雄氏) |
1951年 12月 |
岡崎勝男社長、国務大臣に就任
競輪用タンデムを発売 |
1948年 10月 |
第2回T・Tレース(東京〜大阪)に出場 |
1935年 9月 |
「女性と冨士自転車」広告写真募集撮影大会各地で盛大に開催 |
1928年 6月 |
従来の商標「ラーヂ」を「富士」に改称 |
1906年 1月 |
店主渡英、ラーヂ自転車の直輸入契約締結 |
1906年 6月 |
ラーヂ自転車1,500台の顧客向け懸賞売出しを断行
第2回代理店会議開催(江の島・恵比寿屋にて)
九州日日新聞主催「九州一周千マイルレース」でスターリング乗車の熊本・吉井選手優勝 |
1906年 12月 |
店舗を銀座二丁目一番地に移転、倉庫を三十間堀一丁目に設置 |
1904年 3月 |
本店を銀座三丁目九番地(現松屋の角)に移転
スターリング車の特約店拡大に努力 |
1904年 11月 |
東京バイシクル秋季大会でスターリング乗車の久保田選手三回連続優勝 |
1903年 |
販売の主力を自転車とカメラにおく
自転車の取扱品目を増加(ウルフアメリカン、スタンホード、スターリング)
スターリング車の特約店を各地に設置 |
1899年 11月 |
創業者岡崎久次郎、日米商店と号し京橋区竹河岸にて米国製懐中電灯の輸入販売を始める。取扱品目は探検電灯、医療電灯、机上電灯、手提用・自転車用電灯、盗難予報機等
売捌所を京橋区南金六町七宇都宮回漕店内および横浜市相生町井桁屋に設置 |