FEATURE - 2021.07.02

アメリカのとある少年の人生を変えた、日本の自転車

FUJIの「THREE DOT」ロゴに込められたストーリー

 

かつて国産自転車としてナンバーワンのシェアを獲得したFUJIは、1971年、念願のアメリカデビューを果たしました。
そして、FUJIのアメリカデビューから一年がたった1972年、ニューヨーク。

 

当時14歳の少年 William は、自転車好きである父と熱く談義を交わしていたところ、ある話を聞きます。

 

「これまでアメリカ製、イギリス製の自転車が高品質だとされてきたが、最近では、日本のスチールフレームが本当に素晴らしいんだよ。」

 

WIlliamは、日本製の自転車をその目で確かめるために「FUJI」が並ぶ、とある店にたどり着きました。

 

彼はショップに並ぶFUJIの自転車の仕上げの美しさを見て、感動しました。指でトップチューブの裏をなぞると、かつて見たイギリス製の自転車にはあったはずの、溶接の継ぎ目が感じられません。さらに、驚くことにアメリカやイギリスに比べいくらかリーズナブルなのです。
とはいえ、もちろん14歳の少年にはおいそれと購入できる代物ではありません。せめてカタログだけでも、とWilliamは、戸惑いながらも勇気を出して、店長のKenに声をかけカタログを手に入れました。

 

すっかりFUJIで頭がいっぱいになったWilliamは、家に帰り「いつかFUJIを手に入れたいな」と夢を見ながら、夜通しカタログを繰り返し読み耽りました。

 

翌朝、彼はいてもたってもいられず、再びその店を訪れました。
そしてFUJIに対する憧れの一心で、来る日も来る日もKenの店に通い初めます。そして開店準備を手伝うほどになるまでに、さほど時間はかかりませんでした。

デビューを果たした1971年のアメリカ向けカタログ。当時日本から正式に輸入された自転車はFUJIが最初だった

 

ニューヨークの冬は寒さが厳しく、街の自転車屋に客の出入りは滅多にありません。
Williamは、憧れのFUJIが並ぶ店内のバックヤードで、Kenと二人でボードゲームを楽しむのが日課になっていました。

 

そんなある日、2組のグループがほぼ同時に来店します。Kenがバックヤードから腰を上げ売り場に近づくと、Williamに対して、最初に来店した父娘ペアを接客するよう、目で合図しました。

 

これまでにセールストレーニングを受けた経験もなく、慌てふためくWilliamを見てKenは
「FUJIを買ったら、もう他の自転車には乗れなくなりますよ。」
とだけ耳元でアドバイスをささやき、もう1組の接客へ行ってしまいます。

 

父親の方は、おそらく技術者か何かのようでした。また、そんな父の影響を受けているのか、娘もずいぶん細かなところまで興味を持っているようでした。Williamは自分のできる限り、パーツごとに細かく説明し、商品の良さを精一杯プレゼンテーションし、気がつけば1時間以上も経過していました。やがて、熱意が伝わったのか、最終的に彼らは自転車を購入しました。

 

ある日、KenはWilliamに一つの自転車プレゼントしました。予期せぬプレゼントにとてつもなく喜んだ彼は、ある目標を立てます。

 

「この自転車で旅をして、100マイル以内のすべての自転車ショップを訪問しよう。メカニックとセールスマンとしてのスキルを磨くため、そして競合相手を理解するために、自分にはもっと他の自転車ショップを見ることが必要だ。」

 

旅の途中、彼は訪問した一つの店舗で、店のウインドウに飾られたとある自転車を見て目を奪われます。
ブランドのロゴは、太字で拡張されたサンセリフのフォントで、はっきりとそして堂々とフレームを横切って伸びていました。自信に溢れたその佇まいは、FUJIのそれとは明らかに異なる雰囲気を醸し出していました。

 

彼は翌日もその店に出向き、ロゴをしっかりと目に焼き付け、持っていた小さな手帳でいくつかのスケッチを描き殴りました。

 

旅を終えKenの店に帰ってきたとき、Williamは少し躊躇いながらも、勇気を振り絞って言いました。
「FUJIは…もっと大胆でモダンな新しいロゴが必要です。強さが足りないのではないかと思います。」

 

Kenはそれを聞いて嫌な顔一つせず、穏やかにこう答えます。
「日本では、何かを否定的な意見を提案する場合に、代案を出した上で比較検討するもんだよ。」と。

かくして、富士の「新たなロゴ」をデザインすることが、彼の個人的な目標に設定されました。
しかしながら、彼はデザインにおいて全くの素人。ロゴを作ると言っても、何から始めていいかもわかりません。

 

その夜、早速彼はロゴデザインに関する書籍を求めて、近くの大きな書店に行きました。
親切に案内してもらったコマーシャルアートのコーナーで、「Graphic Designers USA」というタイトルの本が目に留まりました。

 

何かの縁なのか、それは日本の出版社が刊行した本のようでした。
彼はその本を引き出して開き、Rudolf de Harak というデザイナーの作品を紹介するページで目を止めます。

 

彼の作品はどれも非常に洗練されたグラフィックで、非常に説得力がありました。
そして、このとき初めて、この世には「デザイナー」という職業があるんだということが、Williamの中に小さな意識として芽生えました。

 

それから数週間、Williamは同シリーズの本をもう2冊購入し、グラフィックデザインやフォントについて猛勉強します。そして、スケッチを何点か作成しました。
スケッチ上でFUJIの「j」と「i」の文字に並んだドットは、まるで自転車の2つの車輪のようでに見えて、彼は嬉しくなりました。

 

しかし、どこか何かが足りない気がします。

そんなとき、ふと、売り場でのケンのアドバイスを思い出しました。

 

「もしお客様がFUJIを検討しているなら、彼らに言ってあげてください。FUJIを買ったら、もう他の自転車には乗れなくなりますよ。と」

 

Williamは、ロゴの後に「ピリオド」をスケッチしました。
人生の最後まで買い換える必要のないほどに、素晴らしい自転車であると言う思いを込めて。

 

こうして現れた3番目のドットのおかげで、そのスケッチはまるで見るものに強く訴えかけるようになりました。

 

「富士。」「あなたの最後の自転車はこれだ。」と。

あれからおよそ半世紀が経とうとしている、現在。

 

今もなお、この「THREE DOT」 LOGOが我々FUJIにとってかけがえのないものであることは言うまでもありません。
クリーンかつ簡潔に表現されたこのレトロなロゴは、私たちの伝統を表しながらも、不思議とモダンな雰囲気を持ち合わせます。

 

実はロゴをKenに渡した数週間後、Williamは、あの本で見た Rudolf de Harak が、同じニューヨークのアートスクールで教師をしていることを発見しました。Williamはその2年後、この学校に入学し、後に Rudolf de Harak に師事します。

 

そしてなんと…

今では、自らがグラフィックデザイナーとしてのキャリアを築き、ニューヨークの名門アートスクールで、今度は自らが教授として教鞭をとるまでに至りました。

 

FUJIの前身となる商社の創業より120年。
世の中は多くのことが変化し、また私たちもそれに伴い変化してきました。たかが自転車とはいえ、もしかしたらその中で、とある人の人生にまで影響を及ぼすこともあったかもしれません。

 

ただ、どんなに世の中が変化しようと、ずっと変わらないもの。
それが、わたしたちの自転車に対する情熱です。

 

あなたにとって最高の自転車を作り続けることがFUJIのプライドなのです。

1974年、当時のフラッグシップであるNewestの広告。右の自転車にはWilliamの私物が使われたとか。